BOOKMARKetc

ブックマーケット。本の栞などなどです。

今更ながらDeepRiverを解釈してみる


宇多田ヒカルのDeep Riverを聞いていて、なんか思うことがあったので今日はこのネタ。


少し前に2chとかでも話題になっていた宇多田ヒカルの歌詞のすごさ。昔は何とはなしに聞いてましたが、聞けば聞くほどに曲のすごさに惹かれていって、聞けば聞くほど歌詞の秀逸さに引き込まれていきました。流行歌手は嫌いなアマのジャックな私ですが、宇多田ヒカルは好き。


さ、Deep Riverの素敵さです。正直、私この歌あまり好きじゃありませんでした。しかし、先述した2ch宇多田ヒカルの歌詞のすごさを語るスレッドで下記の部分が取り上げてあるのをみてグンと好きになりました。

剣と剣がぶつかり合う音を
知る為に託された剣じゃないよ
そんな矛盾で誰を守れるの


ずっと、「剣は戦う為にあるんじゃない!!(守る為にあるんだ)」と解釈していました。しかし、「戦う為にある剣なのに、ぶつかり合う音を否定するなんて、そんな矛盾でどうする」と解釈してみると。この歌はいっそう深いものに。。。。


歌詞の中で、「すべてを受け入れなくていい」や「どこでも受け入れられようとしないでいい」とか出てきます。剣を鞘におさめるように、すべてになじまなくても、時には剣を出して戦ってもいい。音をだしてはじいてもいい。そんな風に感じると、なんだかなんだか。

自分らしさというツルギを皆授かった


ツルギを見つけなよ、とかじゃなくて、既に授かってるんだよね。だから、自分らしさというツルギでもっと戦いなよ。そのツルギで戦ってこそ、守れるんじゃないか。大事に大事にしまっておかないで。音を出してぶけあいなよ。自分らしさを。そんなそんな。ああ、宇多田さん、あんたって人は、、、、。


私は結構鞘におさめちゃうタイプの性格です。でもでもでも。もっと、ね。剣ふりかざそかな。びゅん、びゅん、っとね。やっぱ使ってあげないとさびちゃうよ。そんなことを考えながら、雨の夜をまったりしてます。


そんじゃまた明日〜。